レトロゲームズ

ポケモン生みの親、田尻智さんを「プロ」にさせた、ヨッシーのたまご開発エピソードが凄い。

      2015/10/09

スポンサーリンク

 

著書「ポケモンを創った男」にて、田尻さんは当時をこう回想しています。

 

本当のプロになれるかどうかの大きい橋は、「ヨッシーのたまご」だった。

 

yoshi1_110911

 

開発期間は6ヶ月しかなかった

 

ここはビビりました。当時1990年頃ゲームフリークではポケモンを制作していたのですが、資金事情により開発が止まってしまったんです。そして、任天堂に相談したところ、横井軍平さんを紹介され、「半年でFC、GB両方同時にリリースできる物を作れるか?」と言われ、これがゲームフリークが「ヨッシーのたまご」を作るきっかけになった瞬間だったのが本書を読んで分かりました。

 

後に本当にFC版、GB版「ヨッシーのたまご」は1991年12月14日に同時発売。このヨッシーのたまごをゲームフリークが携わった時のエピソードが凄いんです。

 

スクリーンショット 2015-10-07 13.03.34

 

半年間フルに全力を投入した作品

 

ゲームフリークは1989年に設立され、ヨッシーのたまごは1991年に発売されました。ということは、1990年が1番ゲームフリークにとって資金がなく全力でヨッシーのたまごを作ろうとしてたのが分かります。

 

こちらは田尻さんの発言部分。

 

他のものは「自分が作りたいものは何か」っていう、ゲームアイディアに沿って打ち出してたんだけど、「ヨッシーのたまご」の場合は完全に宿題だよね。

 

さらになぜ全力で作れたかというと、ヨッシーのたまごは作れば必ず商品化になることが分かってたからです。完成したら資金が増えます。任天堂から与えられた注文に全力で応えていたゲームフリーク。

 

本書を読んで改めて実感したのが、開発期間はやはり長引けば長引く程、お金はどんどん無くなっていく事。なので「ヨッシーのたまご」は、半年間で作るというのが絶対条件だったのです。

 

結果、ヨッシーのたまごは大ヒット!

 

結果、無事リリースをし、ヨッシーのたまごはめちゃめちゃ売れました。そして、ポケモンの開発期間は6年となりポケモンも無事発売されたのでした。

 

21206_front

 

当時「ヨッシーのたまご」を制作していた田尻さんの発言がとても印象的でした。

 

「ヨッシーのたまご」は危機感が強かったから出来たとも言える。

 

当時のエピソードでした!

スポンサーリンク

 - 1990年代発売


ゲームを30本売ってきた!