レトロゲームズ

コーエー創業秘話。染物屋だったコーエーが売れるまでの話が面白い。昼間は染料の仕事、夜に一人でゲーム作り。

      2015/06/17

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今や「信長の野望」シリーズで有名なコーエーの話です!昔は光栄ですね。

 

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設立当初は染物問屋だった

 

1978年に創業され、最初はゲーム会社じゃありませんでした。なんと、最初は工業薬品の染料を販売する会社でした。

 

創業者である、襟川陽一さんは父の家業を継ぐことになっていたんです。ですが、徐々に染物の事業が苦しくなり、襟川陽一さんは何とかしなければと思いました。

 

そんな時にマイコンと出会う

 

書店でふと見ると「マイコン」という雑誌が目に入りました。

 

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この時のことを襟川陽一さんはこう語っています。

 

これからはマイコンの時代だと誌面にありました。

 

大型コンピューターと同じことがマイコンで出来る、と。そんな夢のマシンを僕も欲しいと思ったのですが、僕にはお金がなかった。

 

これで終わってしまうのか。そう思った矢先、なんと奥さんが襟川陽一さんの30歳の誕生日にSHARPのパソコン「MZ-80 C」(26万8000円)をプレゼントしてくれたんです。泣けますね。

 

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パソコンを手に入れてからは襟川さんは、ゲーム制作に熱中し始めます。

 

昼間は会社の仕事をし、夜になるとプログラムを組む。

 

それこそ、寝る間を惜しんでプログラムを組んでいました。

 

一時もパソコンから離れたくないという感じでしたね。

 

そして、ゲームを自作し始めてちょうど1年後。遂にゲームが完成しました。それが、

 

川中島の合戦」と「投資ゲーム」。

 

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川中島が3,500円。投資ゲームが5,000円で通信販売を開始しました。

 

まずはゲームの存在を知ってもらうために最初にしたこと。それは広告でした。費用は5万円。作って売るのも自分でやらなければいけません。

 

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当時はネットが無かったので「マイコン」にモノクロで半ページの広告

 

そのときのことを襟川さんはこう語ってくれています。

 

趣味の延長で軽い気持ちで広告を載せたんですが、そうしたらものすごい反響がありました。

 

ダンボール1箱が一杯になるくらいの現金書留封筒が毎日届きました。

 

嬉しいというよりもビックリしました。

 

結果は3ヶ月で1万本売れました 。1人で作ったものが1万本。当時自作ゲームはハドソンもやっていました。

 

奥さんと一緒にコピー作業してラベルシールを貼る作業を夜通し。これを繰り返して行き、現コーエーがトップメーカーになっていきます。

 

当時は一人でゲームを作れたのはなぜなのか

 

これは容量が小さいからでした。プログラムを組むのも制作期間はかかりますが、一人でも可能とのことでした。今のゲームはムービーがあるので難しいですね。

 

光栄からコーエーになる前の創業時エピソードでした。

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 - 1970年代発売, 1980年代発売


ゲームを30本売ってきた!