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1986年誕生。ファミコン「ドラゴンクエスト」。ドラクエを生み出した堀井雄二とは何者なのか。

   

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1986年に勇者ロトの伝説シリーズとしてファミコンから「ドラゴンクエスト」が発売されました。

 

勇者ロトシリーズは3部作ですね。いやぁ懐かしい!特に3の「そして伝説へ…」はシリーズでも傑作中の傑作と言われてます。

 

そして、記念すべき1の画面はこちら!

 

 

約25年前の映像です。泣けますねぇ。ファミコンの制約の中でここまで表現するのは大変だったと思います。

 

ドラクエの生みの親 堀井雄二さんは、ドラクエは初心者の方にも遊んでもらえるゲームにする事に徹底していました。例えば最初は、主人公をお城の中にわざと閉じ込めて、宝箱を開けなくてはいけない仕様にしました。宝箱を開けるまで外に出れないんです(笑)

 

当時、ファミコンの厳しい制約の中で、ドラクエのクオリティは衝撃的でした。ドラクエの容量は64キロバイト。これは、携帯電話の待ち受け画像1枚分の容量です。しかも、初代ドラクエには実はカタカナが50音入っていません。

 

 

  • カタカナの”ア”が、実はゲーム内に入っていない

 

 

ゲームの舞台はアレフガルドなのですが、ゲーム中で”ア”という文字は、実は一切使用されてません。そして、ホイミ、ベギラマやルーラなどの呪文名もゲームの容量のために短くされました。

 

 

  • ファミコンの容量の中で「厳選されたものだけ残った」からヒットした

 

 

今考えると本当に残したいものだけ残したから結果として、初代ドラクエは150万本の大ヒットとなったんですね。そもそも、ドラクエが生み出されたキッカケは何だったのでしょうか。

 

 

 

 

もともとドラクエの生みの親 堀井雄二さんは漫画家志望でした。実際に27歳の時に劇画村塾という養成塾に入塾しています。同時に、この頃パソコンゲームにハマり、そして自作を始めました。

 

そして、次の年に開催された「ゲーム・ホビープログラムコンテスト」で応募した「ラブマッチテニス」が入賞プログラムコンテスト賞を獲得します。そして、このコンテストで後にドラクエを共に作る中村光一さんと出会います。

 

やっぱり何かに参加したり体験した時に出会う人と、後に何か作るケースは非常に多いですよね。これは共通していることなんですね。

 

 

ポートピア連続殺人事件で有名になる

 

 

 

 

ドラクエより先にPC-8801で出されたこの作品は、実は当時プチ社会現象を起こしていました。売り上げというより、コマンド打ち込み式のアドベンチャーゲームということで異色の作品と言われてました。特に「犯人は○○」というセリフはとても有名ですね(笑)

 

 

  • ドラクエが発売され「ドラゴンクエスト III そして伝説へ」は社会現象となる

 

 

ちなみにシリーズ売り上げ本数

 

 

150万本 ドラゴンクエスト1
241万本 ドラゴンクエスト2 悪霊の神々
380万本 ドラゴンクエスト3 そして伝説へ…
304万本 ドラゴンクエスト4 導かれし者たち
280万本 ドラゴンクエスト5 天空の花嫁
320万本 ドラゴンクエスト6 幻の大地
417万本 ドラゴンクエスト7 エデンの戦士たち
370万本 ドラゴンクエスト8 空と海と大地と呪われし姫君
432万本 ドラゴンクエスト9 星空の守り人
60万本 ドラゴンクエスト10 目覚めし五つの種族

 

 

意外と7と9が凄いですね(笑)ですがそれよりも1が150万本で3では倍以上の380万本を売り上げてることが、ドラクエの今後を決定づけました。あと、これは考察なんですが、

 

 

  • ハードが変わった直後の作品が売り上げが伸びてます。

 

 

 

7ではプレステ、9ではDS。面白いですよね。最近はiOSアプリやリメイクが多くなり、今度もドラクエモンスターズの作品が出ます。僕はモンスターズをめちゃめちゃやっていました(笑)

 

 

モンスターズ楽しみですね。それでは!

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 - 1980年代発売, etc


ゲームを30本売ってきた!